bottom_arrow 母に手を引かれ買い物に行く。という何気ないお出かけの中で、月に一度だけワクワクする日がありました。それは『1冊だけ本を選んで買ってもらえる日』です。本を読むのが好きになったのはいくつくらいからなのかは記憶にありませんが、気付けばすぐに本を手に取る子供だったそうです。「おばけのアッチ」シリーズや「きつねくん」が主人公のシリーズものなど、自宅の本棚には買ってもらった本が並んでいます。国語が苦手な学生へと育ってしまったものの、今こうして文章に携わっていられるのは、幼少期の『本』があったからなのだと思います。何度も読みたくなる絵本のように、いつ開いてもあたたかな気持ちになれるお礼状をお届けすることが私の目標です。 bottom_arrow 一般事務だけどワードもエクセルも使えなくていいの?やった!と応募してから早10年、マコセのグリーフ番長とは私のことです。子どもの頃の夢は動物のお医者さん。昔描いた夢とはまったく違う道を歩いておりますし、どんな仕事なの?と聞かれると説明するのに毎回悩むのですが私はこの仕事が大好きです。自分が遺族になって、改めて想いをかたちにしてもらえるって有難いなぁと実感しました。さらに葬儀の後、父が何十年と通っていた床屋の奥さんから「娘さん?お父さんがいっつもうちにくるたび言ってたのよ。すごい仕事してて、世界中飛び回ってるって」と言われたのです!父ちゃん、世界中は盛りすぎだよ。恥ずかしいよ。でも、頑張ろうっと思いました。美味しい牛肉とお酒を支えに、今日もがんばりまーす! bottom_arrow 鹿児島の右半分、電車も通っていないのどかな町で生まれ育ちました。田舎者らしく真っ黒に日焼けして外で遊び倒し、その一方で従兄弟たちが持っている少年漫画、ゲーム(見る専門)にもどっぷり浸かった幼少期。でも一番好きだったのはセーラームーン。図書館で本を読む子供ではなかったけれど、物語にひたること、新しい知識にふれることはワクワクして大好きでした。紆余曲折あってこの仕事に出会い、あっという間に10年目。皆様がそっと教えてくださる思い出をカタチにする瞬間は、幼き日のワクワクに負けないくらい、今でも胸が高鳴ります。だいぶ行き当たりばったりに生きてきたので、こんなに長くひとつのことを続けているのはもはや奇跡。ドタバタと結婚出産し、最近は我が子のほっぺをもちもちするのが至福の時です。 bottom_arrow 「花は霧島~煙草は国分~」で有名な霧島市出身。小学校教諭を1年つとめた後、マコセのHPを見て感動し、入社。元々 人と話すことが好きということもあり、どんどん仕事に引き込まれるように。ご遺族に「思いがけず沢山話してしまった!」と思って頂けるような取材をモットーに、落ち着いた声のトーンで共感を示すことによって、より話しやすい状況を作り出すよう心がけている。手に取った方が故人様を偲び、ホロリと泣いてそして最後は笑顔になれるような文章作成を目指している。「あなたに書いてもらいたい!」と言われるライターになることが今の目標。よく言われるのは「珍しい苗字ですね」と「いい声ですね」。あまりメジャーではない観光地巡りをしたいと秘かに検討中。 bottom_arrow 高校3年生の時、父が他界。大学1年生の時、母が他界。立て続けにおきた両親との別れ。多感な年頃ゆえに素直になれず、後悔ばかりが残る最期になってしまいました。だからでしょうか。今でも ふとした瞬間に2人の声が聞きたくなりますし、会いたくてたまらないこともあります。もっと出来ることがあったのではと胸が痛む日も…。どれだけ時が経とうとも、寂しさや悲しみは癒えていません。それでも 両親との別れは私を強くし、弟や妹との絆をより固いものにしてくれました。こうして今マコセで働けているのも、運命なのだと感じます。別れがもたらすのは「悲しみ」だけではないと 知っているからこそ、私はこれから先も遺族の心に寄り添い、温かな一枚を届けられるよう精進してまいります。 bottom_arrow 私は幼い頃から母に甘えっぱなしでした。母は優しくてよく気がつく人で、大人になってからもつい頼りきりになっていました。そんな母が、数年前の夏に先立ちました。その日の空はどこまでも続くような青空が広がっていて、涙越しに眩しく感じたのを覚えています。まだ実感が湧かない中、お葬儀の打ち合わせ中に出会ったのがオリジナル会葬礼状です。案内された際に即決。出来上がった原稿には母との思い出や人柄がしっかりと込められていました。このことがマコセに入社することになったきっかけです。母のためのお礼状を読んだ時、「お母さんそのものだ」と心がすっと軽くなったのを今でも忘れられません。完璧な答えなんて見つからないお仕事ですが、だからこそご遺族それぞれのお気持ちに寄り添える、母のように優しい人を目指して精進していきます。 bottom_arrow 大人が歩けば僅か7~8分程度の距離を、小学生の私は30分もかけて下校しておりました。地元商店の立て札が「おでんあります」から「冷やし中華始めました」と切り替わった瞬間にグッときたり、電気工事店の軒先で、ごろんと横たわる信号機を興味深く眺めたり…。側溝をのぞけば小さな花が咲き、近所は無限のワンダーランドでした。独特過ぎる感性で親と先生を困惑させる子供でしたが、こと文章作成となれば、ご遺族の思いを汲むアンテナとして活かせるのだと実感しています。一期一会の礼状取材ですが、その方が生きた道を少しでも深く掘り下げ、胸の内にある思いを少しでも深く理解することで、ちょっとでも心が動くお礼状を作りたいと励んでおります。 bottom_arrow 幼い頃の私は絵本が好きでした。母から与えられる本はすべて伝記で、野口英世、ヘレン・ケラー、ベーブ・ルース、ライト兄弟等々、偉業を成し遂げた人物の生涯を綴ったものばかり。何度も読んでいたため、今でもよく覚えています。小学生になり国語の成績が悪ければ、漫画が大好きな母は「あなたは漫画を読まないから人の気持ちが分からないんだ」と持論を展開し、父を納得させて漫画を買ってくれました。それが影響してなのか、言葉の持つ奥深さに興味を持ち日本語教育を専攻し、今はお礼状作成に携わっています。マコセの仕事はそれぞれの人生経験がいかせて、1人1人バックグラウンドが違うからこそ持ち味の異なるお礼状になります。今後も様々なことに挑戦し、よりオリジナリティに富んだ会葬礼状を作成していきたいと思います。 bottom_arrow 小学校に入学するまで我が家で それはもうぬくぬくと過ごした幼少期。部屋の中には絵本がいっぱいありました。当時、すでにステイホームしていた私は断然、おうちで過ごしたい派…ではなく、お出掛けや旅行も大好きです。長い年月を経てたくさんの絵本は今 我が子へ。まだまだ字は読めませんが、あれ読んで!これ読んで!!と持ってきては小さな手でページをめくって、にこにこ笑顔。それが今 一番のいやしであり、ときめく時間です。縁あって、マコセに入社してから早数年。何か始まるかも、変わるかも…と思って飛びこんだ世界でした。誰かのために“想いを伝える”お手伝いを少しでもできれば、お話しを伺うことで少しでも心癒やされて頂ければ…という気持ちでこれからも電話の向こうの方やお仕事に向き合っていきたいと思っています。 bottom_arrow 人の話を聞くのが好き。そして 手紙は 貰うのも自分で書くのも大好き。会葬礼状は残された人から旅立つ方への最後の手紙のようなものかもしれない…そう考えマコセの門をたたく。心がけているのは受話器を握るとき、ご遺族様の言葉を柔らかな心で受け止めること、そして自分の声に表情をのせること。完成したお礼状を読み返しては「もっと故人様にふさわしい表現があったのではないか…」と落ち込むこともあるけれど、見ず知らずの私たちに大切なお話をしてくださるご遺族様に「話して良かった、お礼状を作って良かった」と思って頂きたい。その想いで今も もがき続けています。忘れられないのはご遺族様から「素敵な文章をありがとう、本当はもうないほうがいいけれど、またこんな機会があったら あなたにお願いしたい」というお礼のお電話を頂いたとき。涙が止まりませんでした。 bottom_arrow 一番の息抜きは美術館へいくこと。とはいっても、高校まではアート?何それ面白いの??なんて思っていました。面白いと感じはじめたのは大学2年生の時です。「絵画は平面か、立体か」ある先生からそう問われ、ぐっと興味が湧きました。いつしか各地の美術館へ足を運ぶようになり、様々な作品を見ていく中で分かったのは『視点を変えれば見えるものが変わってくる』ということ。「絵画は平面だよ」と思う方は、是非 ルーチョ・フォンタナの《空間概念》をご覧になって頂きたいです…!人やものとの出あいは、人生の宝だと思います。葬儀社の皆様、ご遺族の方々に直接お目にかかることが出来ませんが、「あなたに担当してもらえて良かった」と仰っていただけるように、皆様の心に残るお礼状を届けられるように、そんな気持ちで日々 励んでおります。 bottom_arrow 鹿児島生まれ鹿児島育ち。このままずっと鹿児島に住んでいたいと思っているが、旅行で色んなところを訪れるのは好き。今とあるスマホゲームにハマっていて、モデルになった場所に行ってみたいが、中国なので悩みどころ。ラジオ局の庶務や医療クラークの仕事をしていたらいつの間にか7年が過ぎていた。医療クラークとして働く中で、患者さんの話を聞いて悲しくなったり、自分の無力さを感じたりして、色々考えた結果転職を決意。求人票を見て回る中でマコセのことを知る。お葬式に出たこともあまりなく最初は会葬礼状もよく分からなかったが、ホームページにある会葬礼状のサンプルを読んで泣きそうになり、興味を持つ。未だに採用して頂けたことにびっくりしているが、まずは校正がしっかり出来るように一日一日を積み重ねていきたい。 bottom_arrow 良くも悪くも無駄に好奇心旺盛なこの性格は、長所なのか短所なのか。1つのことをずっと続けるには やや不向きな性格な性格なのに、マコセで長く勤務し続けられているのは、もの作りが好きなのが大きいのだと思います。何気ない日常生活もほんの少し意識しただけで、たちまち学びの場に。もの作りの現場を見に行き(大人の体験型社会科見学)、旅に出て見聞きしたことが後日、取材や作成時に役立つこともあるので侮れません。時には経験が邪魔をすることもあるので注意が必要ですが、何かをやり遂げた経験を糧に自分を成長させることができます。『長く働いているからといって奢らず、先入観を持たず、ご依頼1件1件と真摯に向き合い、謙虚に生きていきたい』というのが、私にとって目下最大の目標です。 bottom_arrow 私は、幼い頃から本が大好きでした。寝かしつけで母がお話をしてくれたり、本なら渋ることなく買ってもらえたりした経験が私を本好きにさせたのでしょう。図書館の雰囲気が好きだったこと、近所に住む蔵書家の先生がいつでも快く本を貸してくれたことも読書に親しむきっかけになりました。読むことは苦じゃなくても文章を書くのは思うようにいきません。マコセで働くようになり、思いを伝える難しさを日々痛感しています。お一人おひとり違う人生という物語を心を込めてお伝えしたい。お話を伺うひととき、思い出にひたりながらほんの少しでも悲しみを癒やしていただきたい。社会は変化していきますが、家族の絆や人を思いやる気持ちは変わらないはずです。今後も変化は受け入れつつ、本質的なものを大切にこの仕事に取り組んでいきたいと思っています。 bottom_arrow 昔から本を読むのは好きでした。お気に入りの本もたくさんありますが、愛読書というと思いつくのがよしもとばななさんの『王国』という本です。自分の言葉で説明しづらいので調べてみると「大きなものに包まれ、守られている女の子の物語。」という紹介文がありました。私がはじめて読んだのは大学生の頃で、親元から離れ、サークルやバイト、時々勉強…と過ごしていると「一人で生きている」ような気がしてしまっていたけれど、そんなことないんだ!と思わされた本でした。いつも家族や友達、恋人に守られているんだなあと…。今も、仕事や家事育児に追われるとつい「私ばっかり!」と思ってしまうのですが、多くの方に支えてもらっているということを忘れずにいたいです。 bottom_arrow 我が家には私が小学6年生のときの修学旅行先の福島で買った赤べこがいます。もうかれこれ30年前のこと。色褪せることなくとはよく使うけれど、本当にあの時のまま鮮やかな赤を保っています。実のところ、これは祖父母に買ってきたお土産です。2人が亡くなった後、家を整理していたときに見つけました。ずっと大切にしてくれたのだなと嬉しい気持ちが込み上げたのはもちろん、長い時間を経ても変わらない手仕事の素晴らしさにも感動しました。職人の方達の確かな腕、この先も残してきたいという思いはしっかりと伝わっています。きっと30年後も変わらないでしょう。誰かに思いを伝えたい…私達の毎日書いているお礼状も同じなのだと思います。誰かの胸にその思いが届けば、それが何よりの幸いです。まだまだ実力も努力も足りませんが、そんなお礼状を目指して日々精進します。 bottom_arrow 求職時はアピールできる資格もなく、一般事務の募集を見て面接を受けたところからもう10数年が経ちました。社内の小さな会議室で文章作成の仕事であることを聞き不得手な業務内容ゆえ多少取り乱したことを覚えております。しかし、年齢的にも新たなことに挑戦する機会は今後そう多くはないとご縁に飛びついて今に至ります。入社当初は、先輩方の秀逸な文章を読ませて頂くたびに挫折の連続で自身の無力を思い知らされる毎日でした。それでも何とか踏ん張って書き続けて、ついに喪家様にご満足頂けた時の喜びと感慨はひとしおで、こういったある種の成功体験は今も、スランプを迎えた時の支えになっているような気がします。今後も初心を忘れず自我に溺れずよりよい「黒子」を目指したいと思います。 bottom_arrow 幼い頃は「なんで?」「どうして?」攻撃の激しい、何でも知りたがる子供でした。好奇心旺盛な面は成長するにつれて鳴りを潜めていきましたが、興味を引いたものや気になったことはすぐに調べ、理解しようとするところは現在でも変わっていないように思います。よってグーグル先生にはかなりお世話になっています。最近は自己啓発に目覚め、気になっているのはアドラー心理学。「嫌われる勇気」というインパクトのある題名の本を購入し、アドラー心理学の考え方を理解しようと絶賛奮闘中です。そうして今後もしっかりと自分の思いを持ちつつ、電話の向こうにいらっしゃるご家族、共に働く仲間の心に寄り添い、仕事に打ち込んでいきたいと考えております。 bottom_arrow 人見知りで引っ込み思案で、本やアニメ、自分の世界に没頭するのが好きな子供でした。繰り返し繰り返し読んで魂に刻み込まれているのは吉本ばななさんの『キッチン』。文房具と季節の花を愛でています。ここしばらく興味を持っているのは刺繍と俳句・短歌。それ以外にもやりたいことがたくさんあって時間が足りない…と思う毎日です。何をしても、何を見て聞いて読んでも活かせるこの仕事に携わって、気づけばもう10年以上になります。様々なお話を伺い、「いろんな生き方がある」と思いながらお礼状作りに励む日々からいつも刺激と学びをいただいています。その中で私に何ができるのか、どんなお礼状をお届けできるのか、より良いものを目指して考え、励んでまいります。 bottom_arrow 週報の誤字脱字を誰より早く見つけ出し指摘することに生き甲斐を感じる小学生でした。「生意気で扱いづらかっただろうな」と、先生への申し訳なさと恥ずかしさで鳥肌が立ちます。同じような時期に出会った漫画は、今も私の好みに大きな影響を与えています。とは言っても勉学・お酒・仕事等で十年以上趣味なし推しなしの日々…しかし!最近『進撃の巨人』にドハマりし私の見える世界は色を取り戻しました。次元を越えて作品にのめり込んだ経験は、何かに夢中になられた故人様の気持ちに共感できる心に…捉え方によっては何事もいかせると思えるのが、このお仕事の不思議なところです。生意気な子供だった私も、“娘”から“母”になりました。新しい視点をもった“今の私“にしか書けないお礼状で、これからもご遺族のお役に立てるよう励んでまいります。 bottom_arrow 幼少期は極度の人見知りでした。中学・高校と次第に世界が広がり段々と社交的な人間になっていったように思います。1番アクティブに過ごした大学時代を経て、鹿児島では有名な某企業に入社し、配属されたのは屋久島。5年の島暮らしを満喫し、新たなスタートをと思い転職活動のさなかにマコセの求人と出会う。お礼状って何!?気になる!と軽い気持ちで履歴書を送ったことがマコセにお世話になるきっかけでした。面接時に丁寧にこの仕事の大変さを教えて頂いたにもかかわらず、まだ見ぬ世界への興味が勝り入社を決意。短い取材時間の中でご遺族様の思いをくみ取り、それをいかに限られた文字数で表現出来るか。語彙力・校正力の乏しさを痛感する毎日ですが、少しでも故人様と過ごした日々を思い出し、温かな気持ちになって頂けるようなお礼状を作れるよう奮闘中です。 bottom_arrow 入社して、研修を受けて、オペレーターとして文章作成に携わった第一回目の取材を、私は残念ながら覚えていません。それくらい問題なく話し終えることができたからです。印象に残っているのは二回目の取材です。ご主人様が亡くなり、私は喪主である奥様に取材をしました。「今まで主人の言うことは何でも聞いてきた。その主人が、葬儀は質素にと言った。でも私は主人が一生懸命生きる姿をずっと見てきたから、質素になんてできない。初めて言いつけに逆らいます」とのお言葉を伺い、この溢れる愛情をどのように文章に書けば良いのか、悩みました。また、こうして言葉にされないご遺族様にも、いろいろな思いはあるのだろうと感じました。大切な気持ちを引き出せるよう、そして預けても良いと信頼していただけるような取材を、心がけてまいります。 bottom_arrow 入社前は不安でいっぱい。うまく文章を作れるのか、悲しみに暮れる人にどうやって向き合っていけばいいか…研修中もドキドキしてばかりで、取材デビューの前日は眠れぬ夜を過ごしました。もちろん最初は失敗だらけ。周りに何度も迷惑をかけてしまいましたが、優しく手厚くフォローしてくださる先輩達に支えられ、気付けば私も中堅になりました。まだまだ未熟な身ですが日々多くの人の話に耳を傾け、十人十色の人生を知るたびに私の心も少しずつ大きくなっていっているような気がしています。身長は止まってしまったけれど、心は幾つになっても成長途上。文章力と取材力を磨きつつ、これからも思いを込めて取材に取り組みます!もう一つの目標は私生活を充実させること。たくさん食べてたくさん飲んで、可愛い甥っ子姪っ子達の成長を全力で見守ります! bottom_arrow 活字を見れば眠くなる…そんな病があると信じていた小学生、中学生の頃。そんな私、幼児教育に携わり、絵本を通して読書の楽しさ、想像することのおもしろさを知りました。そして、ひょんなことからマコセに就職し、ご縁のあったご家族の思い出を伺いながら一緒に泣き、一緒に笑える取材が大好きです。ただ、伺ったお話を限られた文面におさめるという作業には日々奮闘しております。自分の力量のなさに打ちのめされることも…。それでも、お話しくださった皆様の思いを形にするべく、精進していきたいと思っています。そしてもう一つ、私は「皆の向日葵になりたい」そう思いながら笑顔を振りまいております。【悩みなんてないでしょ】そう思われているのなら私の勝ちです!女は愛嬌!電話の向こうにも笑顔を届けられるよう頑張ります。 bottom_arrow 中学生のとき、夏休みの宿題で提出した作文は「幼なじみのおばあちゃん」の話でした。今思えば亡くなったおばあちゃんのことを綴ったこの作文用紙が、私の最初のお礼状だったかもしれません。JAやホテルでの経験を経て、マコセに入社して約1年半。毎日が全力疾走、怒濤のように過ぎていきます。もちろん故人様をお偲びする文章を届けることが私達の仕事ですが、電話の先のご遺族様が、故人様との思い出を振り返る5分間にしたいと思っています。いつか自分の大切な人のお礼状を書くときがくるかもしれない、今電話口で話してくださる方はその「いつか」の自分かもしれない、そんな思いで受話器を握っています。「幼なじみのおばあちゃん」が、彼方で応援してくれていると信じてこれからも頑張っていきたいと思います。 bottom_arrow 面接を受けた時は仕事内容をちゃんと理解しておらず、会葬礼状という存在すら知りませんでした。しかし実際に礼状を読み、働く先輩たちを見て、面白そうと思い 入社を決めました。(当時マコセビルが出来たばかりで、おしゃれで新しいビルに憧れたというミーハーな理由と、趣味全開でも許される自由な社風にも惹かれました)入社して今年で10年。根性なしで飽きっぽい私がここまで続けてこられたのは、マコセの仕事が好きだからです。沢山の故人様とご遺族に出会い、素敵なお話を聞かせて頂く中で、自分の価値観が変わり世界が広がりました。礼状以外の仕事も任せて頂き、知識や経験が自信に繋がりました。仕事終わりに飲んだり遊んだりできる仲間に恵まれたこともありがたい限りです。今後もマコセを通して成長していきたいと思います。 bottom_arrow 話すのは苦手だけど、手紙を書くのは好き。それは幼い頃から変わっていません。SNSが普及しても年に数回は友人に手紙を書いていますし、小学一年生の時の担任とは30年ほど経った今も年賀状のやりとりをしています。大切に思っている人へ気持ちを伝えたい。そこがマコセでの仕事に通じています。「話を聴いてくれてありがとう」「文章、感激しました」そんな言葉を頂けた時には、この仕事をしていて良かったと心から思います。そしてもうひとつ、マコセで働くみんなはいい人ばかり。思いやりの塊!人として尊敬できる仲間と共に働くことで学ばせてもらい、力ももらっています。毎日の晩酌で仕事モードのON・OFF切り替え。成長することをやめず周りからの刺激を糧に、今日も明日も張り切っていきます! bottom_arrow 昔から変わったものが好き、人と同じものは嫌いなひねくれた性格。そして文章を書くのも読むのも大好きな子供でした。就活の際も「人と同じ仕事は嫌だ」と考えつつ会社を探し、短大の教授からの紹介でマコセを知り 仕事内容に感銘を受け応募。実際に入社して感じたのは先輩、同期の温かさです。辛い時には励ましてくれ、嬉しい時には一緒に喜んでくれる存在があるのはとても大きいものでした。難しい仕事で悩むことも多かったですが、様々な人生にふれ、沢山のご家族の声を聞き、やりがいを感じる日々です。あと個人的に色々自由なことがとても有難いと感じます。まだまだ未熟者ですが、ご家族に「あなたに話して良かった」と思って頂けるように、これからも精進します。 bottom_arrow 走るのは大嫌い、でも球技は得意。6年生の時点で160台後半という身長をいかし、小学生の頃はドッジボールに明け暮れていた。中学に入るとバスケ部へ。スラムダンクを読んでから入部していればもっと楽しめたのではないかと今でも後悔している。高校ではソフトテニスに汗を流し、小中高ずっとスポーツをしてきたが実は読書も大好きだった。中高生時代に夢中になったのは、江國香織と恩田陸の本。文章がどれほど人の心を動かすか、身をもって知ったのはこの頃だった。現在 お礼状を作成する中で、文章の持つ力というものを改めて感じている。故人様のお人柄や、歩まれた人生を会葬された方にお伝えするために、そして悲しみの中にいるご遺族様のお気持ちに寄り添うために。文章が思いを届けてくれると信じて、これからも頑張っていきたい。 bottom_arrow 将来の目標は「かわいいおばあちゃんになること」。楽しい老後を送りたいと、中学生の頃から言っていました。マコセで働き始め、いろんな方のお話を聞くうちにその気持ちは強くなる一方です。そして同時に、貴重なお話を聞かせていただけることのありがたさが身にしみます。昔から本が好きなのはきっと読書家の母親の影響。これも今、ちょっとは役に立っているのかな、と思います。着物に興味を持ち始めた最近は、取材で「着物をたくさん持っててね~」なんて話が出れば食いつかずにはいられません。どんな経験も生きる仕事ってそうそうない気がしますが、そんな仕事ができている私は本当にラッキーです。何より嬉しいのは、ご遺族に喜んでいただけること。皆様の心がほんの少しでもあったかくなるようなお礼状を目指してこれからも頑張ります! bottom_arrow 私は小さい頃から運動が大好きでした。『プリキュア』を見るより、外できょうだいとボールを蹴りたい派。おままごとをするよりも、体と体をぶつけて汗を流したい派。そんな子どもでした。小・中・高では陸上競技に没頭。その中で怪我の連続でスランプに陥ったことが、私の人生を変えました。仲間や先生、家族の優しさにふれ、温かい声かけに救われたのです。「今度は自分が人を救えるように」そう思い、大学で進んだのは心理学の道。少しでもいい… 自分の存在が人の役に立てればと今でも強く思っています。ご遺族のお声に耳を傾け、寄り添い、悩みながらも前へと進む日々。「あなたに話せてよかった」と言って頂けるように、これからも精進してまいります。 bottom_arrow 一人で何かをすることが苦ではない私には、新しい生活様式はそれほど真新しいものではありませんでした。とはいえ一人であれこれしてみているとき、私の脳裏にはひょっこり誰かが顔を出します。「あの人こんなの好きそうだな」と出かけた先でお土産に目をとめ、美味しいものを食べれば教えてあげたい相手がいたり…。遠方に暮らす友人とは長らく会えていませんが、配信サービスで一緒に映画を見るようになったのは巷でリモートワークが広がってきてからのこと。大切な存在があるからこそ、自分の時間を楽しめているんだなと気づかされている毎日です。命のともしびが消える瞬間、誰しも一人かもしれません。けれども絶え間ない人とのつながりがその人のこれまでを形作り、沢山の思いがこれからも連綿と繋がっていくのでしょう。私ももちろん、そのうちの小さなひとり。言葉を紡ぎ、手渡していくお手伝いができたらと思っています。 bottom_arrow 新入社員の石橋です。妻との縁で福岡から移り住み16年がたち、もうすっかり鹿児島人。以前は旅程管理に加え演出家の役割を担う添乗員をしていたこともありました。お客様と心を通わせ本当に旅を楽しんでいただいた時には「ありがとう」「楽しかったよ」「あなたで良かった」の言葉を頂くけました。喜びの声を聞けた時が良かったなぁと達成感を感じる瞬間で、この仕事の醍醐味でした。マコセでもこの経験は活きるはず。「あなたに話せて良かった」と言って頂けるよう お話に耳を傾け寄り添うことで、悲しみにくれるご遺族が前を向く為のお手伝いをしたいと思っています。「想いをかたちに」この想いを胸に日々精進いたします。 bottom_arrow 文章を書くことよりも、計算したり図形を見たりすることが好きだった学生時代。そしていつしか「数学の先生になりたい」という夢を持ち、教育学部へ進学。卒業後は一度塾に就職するも、「夜より昼働きたいからやっぱり一般事務」という思いを胸にマコセに入社。入社してみたら一般事務ではなく、さらに文章を書くのはやはり得意ではなかったけれど、良い仲間に出会えたこの会社、そして何よりこの仕事が大好きです。特におしゃべり好きな私にとって取材の時間は魅力的でした。故人様の思い出の地や職業、趣味などなどご家族から伺ったことで得た知識は財産です bottom_arrow 中高の六年間を島津氏の菩提に見守られながら過ごしたおかげか日本史の魅力にはまり、大学ではとうとう学芸員免許を取得する。古文書の読めるお姉さんになるはずが、卒業論文の執筆過程において鹿児島県史料を読み漁ったおかげで古文書読解よりも漢文訓読の力を鍛えられた。マコセに入社して決め手は、我ながら奇妙に思えるが「入社したいから試験を受けた」のではなく「試験を受けたら入社したくなった」からである。嬉しいときに一緒に喜ぶ仕事は確かに貴い。しかしながら、わたしは誰かが悲しい時にそっと寄り添う仕事がしたい。三度の面接を経て、そう感じた。この紹介文よりも遥かに短い三十一文字に想いを乗せた島津氏に文武の「文」だけでも近づけるように、日々成長していきたい。 bottom_arrow 小学生時代の一番の思い出は、担任の先生にクラスメイト全員で、手作りの絵本をプレゼントしたこと。確か、魔女に連れ去られた先生を、数々の苦難を乗り越えながらみんなで助けに行く話でした。思えば、あれが人生で初めての、誰かのために作った文章だったかもしれません。これまでの自分の職種や経験を活かし、今後の自分の軸として育てていける仕事を…と考えていたときにこのお仕事に出会いました。本の中で見つけた言葉、自分の体験、感情…。全てが、ご遺族のお気持ちに共感し、それを最もよい形で表現する財産となるって素敵なことだと感じています。まだまだ未熟ですが、よい文章を作ることができるように日々学び続けていきます。 bottom_arrow 10年前のことです。私は祖父の葬儀で弔辞を読み上げました。祖父との思い出や人柄を、どんなふうにまとめたら来ていただいた方と懐かしみ、寂しさを分かち合えるのだろうと非常に悩みましたが、「とてもよかった」との言葉をたくさんいただき、涙を流しながら喜んだ記憶があります。思えば昔から誰かに手紙を書くことが好きで、大学では誰かの心に寄り添う方法を学んできました。そうした経験がマコセへと繋がる道になっていたのかもしれません。まだまだ未熟ではありますが、ご遺族の方に「あなたに話してよかった」と思ってもらえるような言葉を紡げるよう、日々励んでまいります。 bottom_arrow 北海道生まれ北海道育ち。2022年の冬に鹿児島へ引っ越してきました。鹿児島には本当にたくさんの良い温泉がありますね。私は温泉に行くと必ず思い浮かべる人がいます。御年80歳になるおばあちゃん。しかし血のつながりは全くありません。北海道の小さな田舎町で出会った、正真正銘のご近所さんであり、着物と料理と編み物の師匠です。毎週末、ふたりで温泉に行っては、背中の流し合いっこをしていました。「明日にはふたり揃って背中美人だわあ」と帰り道にニコニコするところまでがお約束。私はこの人との出会いから、人生こそ唯一無二で、本当に価値があることだと信じています。お話しを聞かせていただいた方の人生に、言葉で輪郭をつくることで、より多くの人に想いを伝えられるよう日々精進して参ります。 bottom_arrow 幼少期は外に出て遊ぶことが大好きな島育ちの野生児でした。小学校6年間の昼休みは全てドッジボールに捧げ、男の子にも負けない球速で敵をバタバタと倒したものでした。そんな私が中学校で入った部活は弓道部。袴が着たい一心で入部しましたが、いつしか自分自身との精神勝負にどっぷりハマっていきました。中学・高校・大学と続けましたが、その全てで部長や副部長などまとめ役を任されました。部長をするにあたって部員の悩みを聞くことが多々あり、その人にあった声掛けをすることでいつしか大会前に「何か言葉を下さい」と言われるようになりました。自分の言葉で誰かを支えることの素晴らしさを感じ、この仕事を選びました。おひとりおひとりに寄り添い、前を向いて一歩踏みだせるような文章を作成してまいります。 bottom_arrow 子供の頃の私は好奇心旺盛で、家事をする母の後ろにくっついては「わたしがやりたい!」と、よく困らせていたそうです。そんな私も成長し、子供のように駄々をこねることはなくなりましたが、久々に「やりたい!」と強く思ったのが、お礼状作成のお仕事でした。縁あってマコセエージェンシーに入社させていただくことになり、緊張感を感じるとともに、嬉しさも感じています。私自身、成長真っ只中ではありますが、作成したお礼状を読んで、ご遺族様が故人様を振り返るひとときを提供し、少しでも前を向くきっかけになれるような良い文章を書くライターを目指したいと思っております。ご遺族様の思いや言葉を等身大で伝えられるよう、一生懸命頑張っていこうと思います。 bottom_arrow 子供の頃は何か目立つようなこともやってなければ、特に何かすごいことができるようになったわけでもなく、正直に言って思い出は少ない方でした。しかし、先生に作文を褒められたことだけは今でも鮮明に覚えていて、それから文章を書くことが好きになりました。この思いはこんな文で、あの人のことはこんな感じの書き方で......などと考えているうちに文を書くことが好きになり、自信にもなりました。しかし、これから書いていくのはお礼状。新卒として入った自分にとっては経験値の少ない領域です。それでもなんとか先輩方に追いつきたい、心に響くお礼状を書きたいという思いの下、一つ一つ全力で取り組みたいです。オペレーターの数少ない「マコセ男子」として、これから精一杯頑張ります! bottom_arrow 前職では珈琲豆屋に8年半在籍。接客の傍ら、ポップやフリーペーパーの作成を担当。文章力をもっと極めたいと思っていた中、マコセに出会いました。ご遺族様に故人様のお話を伺い、お礼状を作成するという仕事。「なんだか難しそうだけど、やりがいありそう!やってみたい!」と久しぶりにわくわくしました。いざ入社してみると皆さんの仕事のスピードに圧倒。今はまだ亀のようにゆっくりですが、教えてくださる先輩方に早く恩返しができるよう、まずは確実に一つずつ吸収していきます。そして、持ち前の明るさを活かして、どんなご遺族様にも寄り添っていけるオペレーターを目指します! bottom_arrow 小・中・高と、年齢を重ねるごとに勉強から離れ、遊び呆けていた私ですが、不思議と国語だけは成績優秀で、高校生の時にはテストで100点をとったこともありました。他は赤点に近いものばかりでしたが・・・(汗)接客業や営業の経験が長く、全く無知で経験の無いフューネラルという業界、そしてライターという職種に飛び込んだきっかけは、これまでの自分の経験値やスキルを活かしつつ、昔から興味があったライティングの仕事をしてみたいと思ったからでした。深い悲しみの中にあるご親族様に微力ながら寄り添い、そしてお伺いしたお話しの内容を元に作成させていただいた「オリジナル会葬礼状」にて、お力を添えることができましたら幸いです。 bottom_arrow ふらふらと、あてもなく歩くのが好きだ。色々な発見があり、刺激的な時間を過ごせるから。そのせいでついつい道草を食ってしまいがちだ。雰囲気のよいお店を見つけたら、少し勇気を出して扉を開けてみる。そういう時は大抵素敵な店主がいたり、魅力溢れる雑貨に巡り会えたりと何かしら運命的な出会いが待っており、店を出る時には満たされた気持ちになる。日常生活から刺激的な非日常体験まで無駄なことは一切なく、むしろ無駄を愛するべきだと考えており、文章作成オペレーターとして様々な方のお話を伺う上で、あらゆる経験が活きてくると信じている。想像力をはたらかせながら、受話器の向こう側のお相手に寄り添えるオペレーターを目指し、日々努めていきたい。 bottom_arrow 入社が決まったときに、私の動向を心配し ずっと厳しいことを言っていた両親が、沢山の会葬礼状の入った紙袋を渡してくれました。これまで参列してきた葬儀のときにいただいた礼状を 保管していたとのこと。その中には母の父の礼状も入っていました。「今思えば 本当に丁寧に 電話で話を聞いてくださってね。上手に書いてくれるもんだと思ったよ。」祖父以外は ほとんど知らない方のものばかりでしたが、1枚1枚読むごとに どんな方だったのか その姿が浮かぶようなものばかり。1枚の礼状の向こう側にたくさんの方の思いがあることを心に刻み、ご遺族の方々のお気持ちに寄り添った礼状作成に 力を尽くしていきたいです。 bottom_arrow 父を亡くしたときに作っていただいた会葬礼状。短い電話越しでの会話から、父との思い出や上手く言葉に出来なかった私の想いまでも完璧に汲んで下さったライターさん。優しかった父の姿を思い出せるお礼状を今でも大切に読み返しています。この度家族の転勤というきっかけもあり、新卒から10年ほど続けてきた仕事を離れて会葬礼状作成の仕事へ飛び込みました。私もそうだったように、ご遺族の方が大切なご家族の姿を思い出して温かな気持ちになれる、そんなお礼状を作っていけたらと思っております。お父さん、わたし頑張るからね!ありがとう。 TOP オリジナル会葬礼状 礼状ができるまで オリジナル台紙のご紹介 私たちが選ばれる理由 writer support メモリアルDVD 社葬・合同葬・お別れの会 会葬礼状台紙 葬儀後のお礼状 オリジナルナレーション喪主挨拶・弔辞 会葬パネル 忌明け礼状・喪中はがき アフターフォローツール ご不幸新聞広告 個人でお申込の方はこちら