10月28日 堂園メディカルハウス院長 堂園晴彦先生をお迎えして


 

突然ですが、今この文章を読んでいらっしゃる皆さんは当たり前のように呼吸をし、

そして皆さんの心臓は鼓動を続けています。

生まれてくることは、奇跡と知りつつもその確率がどのくらいかご存知でしょうか?

講演を頂きました、堂園メディカルハウスの院長でいらっしゃいます堂園先生によると、

なんとこの世に生を享ける確率は360兆分の1。

これはオリンピックで金メダルを獲るよりも難しいそうです。

数字で知ると改めて生まれてきたこと、生かされていることの有り難さを感じます。

当然ですが、生まれてきたからには必ず「死」が待っています。

しかし、私達は頭ではわかっていながらも、あまりこのことについて

考える機会はないのではないでしょうか。

このたびは、誰にでも訪れる「死」について考えるきっかけ、意識を変えるきっかけになればと、

医師として、たくさんの方の命の誕生に立ち会い、そして多くの方の最期をお見送りしてきた

堂園先生から「遺される子供たちの支援について~肯定的な分かれ、否定的な別れ」と題して

お話を頂きました。

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「死」とひと言で言っても、堂園先生は二つあるとおっしゃいます。

それが「逝く死」と「残される死」です。

「逝く死」というのは、亡くなっていかれる方、ご本人の死です。

終活という言葉が使われるようになり、自らの最後を考えるという機会は以前よりも

多くなったような気がします。

それでも財産や土地の整理だけが、終活ではないと堂園先生はおっしゃいます。

自分の好きなことを記し、残していくことが、血縁にとらわれない新たな家系図を

生み出すということ。そして自らの好きなことを残していくことこそが、

逝く人の役目の一つだと教えてくださいました。

また「遺される死」というのは、ご家族を見送ったご遺族様です。

大切な人を見送るにあたり、その「別れ方」が今後の人生を歩んで行くうえで重要だと、

堂園先生は考えていらっしゃいます。

亡くなられる方も、見送る家族も共にきちんと納得して「死」を迎えることが

今後の人生を前向きに歩む為には必要だと、お話を伺い感じました。

 

皆が納得してお別れをするためには何が大切なのか。

堂園先生は、医療とは命の援助であるとおっしゃいます。病があっても、

本来の自分でいられるように手助けをすること。

それが医療であり、症状の改善だけが目的だけではないということです。

病気になっても、自分らしくいられる、そして家族と過ごすことで

徐々に「死」そして「別れ」というものを受け入れられるのではないかと思いました。

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実際の堂園先生のご経験として見送られた方のお話を伺いました。

癌の痛みを抱えながら闘病生活を送っていた高校生の少女。

堂園先生をはじめスタッフの皆さんは、本来の自分を取り戻してもらおう、

今まで通り学校に通ってもらえるよう、心を込めてサポートされました。

さらに、教師になるという目標を持つ少女は十八歳という若さで生涯をとじたものの、

大学の共通一次試験をうけ、夢へと一歩近づくために頑張ることが出来ました。

また、幼い我が子を残して旅立たねばならない母親と、女性を支える父親は、

我が子に「死」というものが何であるのかを知ってもらおうしました。

そうして「死」というものを理解してもらうことで、幼いお子さんも

いつか「お別れ」の時がくることを知るのです。

 

私達マコセスタッフは、大切な方をなくされたご家族から、毎日たくさんのお話を

聞かせて頂きてます。ご遺族様の中には、納得してお別れが出来た方もいらっしゃれば、

決してそうでない方もいらっしゃいます。

私達が、生前の思い出をお伺いし会葬礼状という1枚のお葉書に文章をおまとめすることは、

故人様とご遺族様、ひいてはこれまでご縁があった方々との絆を

再確認する機会を作ることだと思っております

そしてまたこれからは、堂園先生から伺ったお話を胸にとめ、故人様と残されたご家族様が

どのような別れを迎えられ、今何を感じていらっしゃるのか、声なき声にも耳を傾けていけるよう

精進していくことが、マコセの使命であると感じました。

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